■女性たちの哀しみによって紡ぎ上げられた霊媒術
江戸時代の旅行家、菅江真澄はその著書『岩手の山』において、東北地方のイタコについての記述を残しています。その説明によれば、盲巫女(いたこ)は神降ろし、加持祈祷、占い、亡き霊の呼び出し、神の宣託や様々な前兆の意味を告げる者であるとされており、この頃にはすでに市井の巫女としてのイタコの職能が人々の間に認知されていたことが窺えます。また当時から、イタコの多くは視力の不自由な女性であったこともこの記述から明らかです。
視力を失った者は代わりに心眼(霊能)が発達すると言われますが、イタコ=失明した女性と定まった原因はそれだけでは説明できません。

男尊女卑の封建時代にあっては、女性は経済的自立を許されず、結婚によって婚家の労働力となり、その家の子孫を増やすことによってのみ生きる理由を与えられていました。それがもし視力を失って生まれれば、いったいどうなるでしょうか。飢饉と貧困の跋扈していた当時の東北地方を考えれば、そこに安住の地などあるはずはありません。イタコとして生きることは、彼女たちにとって数少ない生きる術のひとつでもあったわけです。

イタコになるにはまず師匠に弟子入りし、長きにわたって厳しい修行に耐えなければなりません。生まれながらに、あるいは幼くして光を失った貧しい家の女の子たちは、おそらくは選択の余地もなく地元の師匠に仕え、必死の思いで霊能を磨き上げていったに違いありません。つまりイタコの歴史とは、東北の女性の哀しみの歴史とも重なるのです。

→本物のイタコ霊術を現代に継承し続ける王寺院

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